『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する (光文社新書 1352)』
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(著) 中野慧
ISBN:4334105874
【日本で「野球」はなぜこれほど好かれ、嫌われるのか?】
大谷翔平ら日本人メジャーリーガーの活躍がテレビのニュースを埋め尽くす一方、インターネットやSNSの世界では「野球部はクソ」という感覚が加速している――。この「ねじれ」はいかにして生まれたのか?もともと本好き、映画好きの〈文化系〉ながら中高大と野球部で〈体育会系〉の経験を重ねた著者が、社会学、人類学、歴史学、文化論を縦横に往復しながら、日本人と野球の関係を描き直す。
なぜか戦後から色濃くなった武士道精神、インターネットで嫌われる〈体育会系〉としての野球部、甲子園に残り続ける朝日新聞のパターナリズム、女子マネージャーの役割と女子野球の歴史に見るジェンダー、ニュージャーナリズムが影響する「Number文学」の問題点、大河ドラマ『いだてん』に登場した「天狗倶楽部」の革新性――。この国で避けては通れない「野球」という巨大文化の全体像を、今までにない様々な論点を網羅しながら描き出す一作。
◎目次◎
はじめに
第1章 〈体育会系〉としての日本の野球文化
マジョリティとしての野球と〈体育会系〉/女子マネージャーは性差別? /個人主義と集団主義――『アルプススタンドのはしの方』/〈体育会系〉という進学・就職の裏ルート/AKB48と「青春の燃焼」/〈体育会系〉〈文化系〉論が見えなくしたもの
第2章 現代の〈体育会系〉はどうなっているのか?
旧来の〈体育会系〉はもういない? /企業から評価される『もしドラ』的マネージャー/自然科学系へシフトする体育会系/ノンエリート体育会系の出現と「階層」の問題/「文武両道」の不在と企業スポーツ/「戦後民主主義」「企業社会」で過剰に活用されてきた野球/高校野球「女人禁制」の実相/運動から疎外される「スポーツをささえる人」/「ネタ」としての暴力と坊主頭/「裾野」を切り捨てる野球界/神宮外苑再開発で加速する「スポーツの分業」/「する・みる・ささえる」のいびつな関係
第3章 アメリカの「創られた野球神話」
虚構の上に成り立つアメリカ野球創生記/野球の起源は「イギリスの牛飼いの女性」/バット・アンド・ボール・ゲームとフットボール/イギリスのラウンダーズからアメリカのベースボールへ/「女子どもの気晴らし」から「成人男性の競技」へ/合衆国という「想像の共同体」をまとめる文化的装置/歴史修正主義からの脱却
第4章 エンジョイ・ベースボールから「魂の野球」へ――戦前のトップエリート校・一高で起こった変化
戦前日本で野球はサブカルチャーだった/文化が生まれる場としての旧制高校/港区男子(的なもの)とエンジョイ・ベースボール/一高生のエリート意識と「籠城主義」/世紀末の武士道ブーム/バンカラとテニスと武道/横浜外人倶楽部戦のインパクト/「明るいニュース」を求めた新聞社/「選手制度」「対校試合」が引き起こした勝利至上主義/一高を揺るがした〈文化系〉対〈体育会系〉論争/自殺する煩悶青年たち/日本の教養主義の致命的欠陥
第5章 天狗倶楽部と野球害毒論争――早慶戦から甲子園野球の誕生へ
20世紀前半の日本野球史の展開/オリンピックと野球は関係ない? /バンカラ集団「天狗倶楽部」の文化性/正反対な一高野球部と天狗倶楽部/「日本冒険SF小説の祖」押川春浪の先駆性/安部磯雄、嘉納治五郎とオリンピズム/相克する「アマ」「プロ」のイズム/早稲田のアメリカ遠征と「早慶戦中止」事件/一高校長・新渡戸稲造から始まった「野球害毒論争」/現代野球の問題に通じる斬新な批判/東京朝日新聞VS.天狗倶楽部の論戦の帰趨/大阪朝日新聞が甲子園野球を始めた思惑/甲子園野球はなぜ不自由なのか
第6章 「帝国主義」と日本野球――大正~昭和の論点
大正~昭和にまたがる野球文化の発展/近代的衛生観念と小林一三の構想/日本プロ野球の3つのベクトル――「日本運動協会」「天勝野球団」「大毎野球団」/「無縁」の原理/新天地・満洲のコスモポリタン性/東アジア野球の空間的広がり/日本運動協会から「プロ野球」へ/『大正野球娘。』と大正の女子野球/野球統制令と戦時の野球
第7章 戦後日本野球とさまよえる男性性――武士道とスポーツジャーナリズムから
男の子の憧れは軍人から野球選手へ/『星野君の二塁打』と軍隊文化の転移/武士道から抜け落ちた「主君押込」/消えた日米の女子プロ野球/スポーツジャーナリズム「不在」のなかに生まれたNumber文学/鈴木忠平『嫌われた監督』と山際淳司『ルーキー』 /亀梨和也と野球YouTuberが変えたシーン
第8章 野球とスポーツの価値論
「甲子園廃止論」の先へ/「甲子園の土」をメルカリに出すのは健全である/「重いバット」が助長する負荷と格差/「青春の燃焼」から「土台作り」と「再創造」へ/押川春浪のライフスタイルスポーツ的身体観/カウンターカルチャーとしての運動/「体育」という土台、「スポーツ」という応用/〈体育会系〉における「優生学」という落とし穴/「座りっぱなしの娯楽」と消費社会という問題/「私を野球に連れてって」と「VICTORY SONG」/インクルーシブなライフスタイルスポーツとして
おわりに
◎著者プロフィール◎
中野慧(なかの・けい)
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。構成を担当した主な本に『共感という病』(永井陽右著、かんき出版)、『現代アニメ「超」講義』(石岡良治著、PLANETS)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛著、朝日新聞出版)など。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
#61.12_本
はじめに
『PLANETS』での連載をリライト・再構成したもの
体育会系と文化系という2分法へのニーズが多い
筆者はそれには乗らない
筆者自身、野球部出身の体育会系でありつつ、カルチャー(文化系)の世界で仕事をしている
そもそもスポーツは身体文化(Physical Arts)
『文化系のための野球入門』の「文化系のための」は文化系を丸ごと肯定するためではなく、文化系、体育会系という二分法を超えた見方を提示することを狙いとする
第1章 〈体育会系〉としての日本の野球文化
tks.icon文化系の人が野球文化や〈体育会系〉をどう語っているか
日本においては「野球」という文化、「野球部」という属性が、社会的に権力を持ち、それ以外の人たちを抑圧するマジョリティであるという認識を持つ人は少なくない
女子マネージャーは性差別的存在であり、女子マネージャー自身も性差別構造の強化温存に加担しているというイメージ
体育会系は日本のメリトクラシー(能力主義、業績主義)を「ハック」している
メリトクラシー=勉強や仕事で「努力」をすれば報われる
体育会系の人は、スポーツマンシップ=正々堂々を標榜しているにもかかわらず、「やらなければいけないこと」を回避している
文化系、体育会系の一般的イメージの以外は現実を捉えていないという問題意識
第2章 現代の〈体育会系〉はどうなっているのか?
スポーツと職業能力を結びつける言説が日本で見られるようになったのは大正〜昭和初期
健康である可能性が高いスポーツ経験者を優先的に採用した
非運動部学生の社会主義や共産主義など「危険思想」への忌避感
1990年代に大きく転換し、今では〈体育会系〉の姿はほとんど消えかかっている
近年の体育会系は人文科学とほぼ縁がなく、科学(特に自然科学)に接近している
体育会系は従来の「エリート体育会系」と「ノンエリート体育会系」に分化した
ノンエリート体育会系は
少子化で学生集めに苦しむ私立大学が定員割れを防ぐためにスポーツ推薦によって生徒を集めている
経済力がなく、地方在住の家庭の場合、公然と存在する「裏ルート」である体育会系という手段を使って社会を生き抜こうとしても不自然ではない
→ノンエリート体育会系の増加は「少子化」と「階層化」という社会変動で理解する必要がある
日本の野球文化の特徴
文武両道が不在している
→日本の高校、大学、企業のスポーツチームは、アマチュアといいつつ、競技に専念できるという意味で事実上のプロ
これまで日本社会で「野球」があまりにも過剰に活用されてきた
戦後民主主義的な人間感を達成するためには教室の勉強だけでは不十分
tks.iconスポーツ、部活動の場が実はアップデート的な存在が生まれる場所だった
高校野球における女人禁制は高野連や朝日新聞によるブランドイメージを崩したくないというビジネス上の本音がある
建前としては危険防止
高校野球につきものの問題の背景にはスポーツ資源の不足があった
中村哲也『体罰と日本野球 歴史からの検証』
戦前よりも戦後の方が暴力的なものになったのはスポーツ設備や用具の不足
tks.iconおもしろ!
無意味で過酷な練習や理不尽な慣習は自然に部活を辞めるようにする「ふるい落とし」だった
野球・ソフトボールではエンジョイ勢が急速に減少し、ガチ勢は増加傾向にある
裾野を増やそうとしているものの、実はスポーツをやってみたいという「する」層は切り捨てている
東京・神宮外苑の再開発計画は、「みるスポーツ」の商業性が拡大される一方、「するスポーツ」の実践場所しての性格が大幅に削られている